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ジョセフ・ラムの生涯その1―ピアノとの出会い

クラシック・ラグタイムの巨頭三人のうちの一人である、Joseph Francis Lamb(1887~1960)の生涯を、何回かにわたってたどってみます。

ジョセフ・ラムの父親はアイルランド生まれの移民でした。結婚後に、ニュー・ジャージー州のモンクレアに自分で家を建てたといいます。ニュー・ヨークからハドソン川を隔てた場所です。近隣はアイルランド系移民のコミュニティーだったようで、1887(明治20年)12月6日に生まれたジョセフは、教会付属のカトリックのグラマースクールに通います。父親は建設業で成功していたようで、ジョセフに大工仕事や機械学を教えたそうです。

ところでジョセフには、キャサリン(Katherine)とアナスタシア(Anastasia)という二人の姉がいました。二人ともピアノを習っていて、ジョセフは8歳のとき姉にピアノを教えてくれるように頼んだそうです。キャサリンは後に、教会付属のオルガニストおよびプロのピアノ教師になり、アナスタシアはセント・エリザベス女子修道院でピアノの奨学金を得たといういいますから、ハンパじゃありません。家のなかは二人の姉のピアノ練習の音にいつも満ちていたのではないでしょうか。当時のアメリカでどんなピアノ教則本を使っていたのかわかりませんが、いずれにしろ当時のヨーロッパで行われていたのと同じクラシック音楽だったでしょう。二人の姉の弾くバッハやヘンデル、モーツァルトやベートーベン、まだ目新しかったショパンなどを、ジョセフは日常的に耳にして育ったのではないでしょうか。

ジョセフの子ども時代の音楽体験は、以上のようなものでした。ジョセフは姉に手ほどきを受けたものの、基本的には自分で教則本や楽譜や、当時あったThe Etudeという雑誌に掲載の抜粋曲などを自分で弾き、独学でピアノを学んだようです。

彼がピアノに興味を持った8歳というと1895年で、ラグタイムの草創期でした。ところが、ジョセフが13歳の1900年、転機が訪れます。父親が亡くなったのです。ちょうど中学1年生の年齢です。ジョセフは故郷を離れて一人、カナダのオンタリオ州バーリンにある学校に入ります。セント・ジェロームス・カレッジでプレ・エンジニアの勉強をしたとありますが、日本でいう工業高校のような学校だったのでしょうか。このバーリンBerlinという町は、今はキッチェナーKitchenerと改名されていて、その名からわかるようにドイツ系移民の町で、トロントの東にあります。なぜ米国の中心部にいながらそんな遠くの学校に行ったのか? ドイツ系の機械工学がすぐれていたのか? 地図を見ると、故郷のモンクレアからハドソン川を北に遡ると、カナダ方面・オンタリオ湖方面に運河がたくさんあります。当時の交通状況はわかりませんが、水運や水上交通は盛んだったはずです。また、バーリンからエリー湖をはさんだクリーブランドや陸路でも近いデトロイトは、鉄鋼業などで栄え、たいへん景気のいい都市だったはずで、湖のカナダ側に名高い工業学校があったのかもしれません。国境を越えるといっても、意外に、子どもの進学先の選択肢に入るような同一の文化圏だったことが想像できます。

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