« 秋の足音 | トップページ | ラグタイム練習日誌―目下の目標 »

ジョセフ・ラムの生涯その2――16歳までの習作時代

8月23日の記事の続きです。

1900年、父親を亡くした13歳のラムを(12月生まれなので12歳かもしれない)、母親は、ニュー・ジャージーの故郷を遠く離れた、カナダ・オンタリオ州の工科学校に入学させます。

今の日本に当てはめれば中学生時代です。父親が亡くなった年に、中学の寄宿生活を始めたわけです。この時代に、ラムの音楽への興味は開花し、ワルツ、歌曲、その他のダンス音楽を作曲しました。そのうち、Celestine Waltzes、Lilliputian`s Bazaarは、1905年(17歳のとき)、トロントのH.H.Spark社から出版されました。Lilliputian`s Bazaarは「新しい音楽」というサブタイトルもあり、軽いシンコペーションをともなうケーク・ウォークに似たスタイルだったそうです。また翌1906年、やはりSpark出版からFlorentine Waltzesが出版されます。これらは、いずれも1901~03年、13~15歳の頃の作品と思われるそうです。

この時代の作品で未出版だったものが、今年(2005年)出された楽譜集「Little Lost Lamb」に納められています。母親にささげられた Mignonne(1901) は、おそらく最初の作品です。シンプルながら美しいメロディーのワルツで、13~14歳のときの作曲と思うと心を打たれます。また Walper House Rag (1903)は初めてのラグタイム曲で、シンプルなケークウォークパターンを使っています。いずれもジョプリンの影響を受ける前の作品です。

ラムは、16歳の夏(1904年)に、ニュー・ヨークの繊維系卸し会社のオフィス・ボーイとして仕事を得ると、学校を辞めます。その後、サン・フランシスコにいる兄のところに滞在したりしますが、サン・フランシスコ大地震(1906年4月18日)の直前には、ニュー・ジャージー州モン・クレアの実家に戻りました。これが18歳のときです。この地震はマグニチュード8.3とされ、街の3分の2が焼失し、犠牲者は数千人という、アメリカにとっては未曾有の大地震だったようです。ラムのお兄さんは無事だったのでしょうか。ラムはまず、衣類の会社に勤め、次いで出版社に勤めます。ニュー・ジャージーの家から仕事場のニュー・ヨークまで通ったようです。土曜日には、Gimbel、Marcyなどの店で、7~8セントのセール価格で楽譜を買うという生活をしていたそうです。

ジョセフ・ラムがジョプリンのMaple Leaf Ragやその他の黒人作曲家のラグタイムに出会ったのも、カナダから戻って仕事を始めた1904年、16歳になる年だったそうです。とにかくこの時期が、ラムの音楽生活の転機であったことは確かです。仕事をしながら音楽への情熱を燃やしていたのでしょう。

●参考資料 ①Rags and Ragtime ー A Musical History ( David A. Jansen and Trebor Jay Tichenor, 1978, Dover )  ② CD ( American Beauties ー The Rags of Joseph Lamb , Virginia Eskin. piano ) 付属のJoseph R. Scottiによる解説 

●9月23日午後2時更新

|

« 秋の足音 | トップページ | ラグタイム練習日誌―目下の目標 »

ラグタイム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/123768/6040390

この記事へのトラックバック一覧です: ジョセフ・ラムの生涯その2――16歳までの習作時代:

« 秋の足音 | トップページ | ラグタイム練習日誌―目下の目標 »