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スコット・ジョプリンの教え子たち

Scott Joplin(1868~1917)は、
1894年にミズーリ州セダリアにやって来たそうです。
32歳のときです。
そのとき最初に住んだ家が、マーシャル家でした。
マーシャル家の息子二人と同じ部屋に寝起きしたそうですが、
そのうちの一人が、当時13歳のArthur Marshall(1881~1963)でした。

Arthurはすでに音楽への志向があったそうです。
ジョプリン同居との前後関係はわかりませんが、
Arthurは、学校に通うかたわら、
ピアノのレッスンを受けていました。
ジョプリンにはかわいがられ、
初めてピアノ弾きとしての仕事をしたのは、
Maple Leaf Clubだったそうです。
Arthurは、リンカーン高校を卒業後、
当時としては画期的だった、黒人が進学できる、
ジョージ・R・スミス・カレッジで音楽理論を学び、
さらに教員養成所で教育学を学び、教師の資格までとっています。
このカレッジには、ジョプリンと一緒に出席したことがあると、
後年、マーシャルは回想しています。
ジョプリンがセダリアに来た理由のひとつも、
このカレッジの存在があったのではという推測もあるくらいです。

1899年、ジョプリンの「Maple Leaf Rag」を出版して大ヒットさせたスターク出版は、
1900年、セント・ルイスへ進出します。
家具の販売なども目的だったとされています。
セダリアの店は息子の一人にまかせました。
セント・ルイスは、同じミズーリ州ですが、田舎町セダリアよりずっと進んだ都会でした。
また、ヨーロッパでクラシック音楽を学んだ、スターク家自慢の娘エレノアが、
すでに1899年、セント・ルイスで音楽スタジオを開いていました。
このスターク出版が、セント・ルイスで最初に出版した楽譜が、

Arthur Marshall と Scott Joplin の共作、
「Swipesy Cake Walk」
(1900)でした。
ジョプリンにとっては、「Maple Leaf Rag」の次の作品ということになりますが、
それは、13歳から目をかけ、そのとき19歳の青年に成長していた教え子、
Arthur Marshallとの共作だったのです。
このような共作は、弟子の作ったフレーズを師匠がまとめるといったものではなくて、
一緒に演奏を繰り返すうちに出来上がっていったものだったのでは、
と推測する研究者もいます。

このArthur Marshallには、グレード・スクール(小中学校)とリンカーン高校で同級だった、音楽好きの同級生がいました。
それが、同じくラグタイム史に名を残すScott Hayden(1882~1915)でした。
ジョプリンが賞賛したのは、Scott Haydenの、
単音で流れるようなメロディーラインの、軽く、デリケートなスタイルだったそうです。
音楽だけでなく、Haydenは、ジョプリンと深い縁がありました。
スコット・ジョプリンが1900年に結婚した相手、Belle Haydenは、
Scott Haydenの義理の姉でした。
Belleは当時未亡人だったということで、
Scott Haydenの亡くなったお兄さんの結婚相手だったのでしょう。
また19歳になったScott Haydenは、Noraという女性と結婚します。
1901年、二人は揃ってセント・ルイスに行き、ジョプリンの家に一緒に住んだそうです。
ジョプリンの家は、世代こそ違え、この二組のカップルが一時期住んでいたのです。

ジョプリンは、Scott Haydenとの共作4作品を出版しています。
「Sunflower Slow Drag」(1901)

「Something Doing」(1903)
「Felicity Rag」(1911)
「Kismet Rag」(1913)


後半の2曲は1910年代の出版ですが、
セント・ルイスの同居時代(1901~1903)に作られた作品だろうと言われています。
また、死後に発見された手稿がありました。
セダリアのミュージシャンが持っていたものでした。
完全なメロディーラインに簡単なベースがついていたものを、
Bob Darchが完成させて、"They All Played Ragtime"に収録されました。
「Pear Blossoms」(1960、出版は1966)という曲で、
Haydenが高校生時代の作品だということです。

スコット・ジョプリンと関係の深かった二人の教え子たち。
でも、その交流関係も長くは続きませんでした。
Scott Haydenは、1903年に妻Noraを亡くし、
シカゴへ旅立ちます。
シカゴでは、病院のエレベーターのオペレーターとして生活し、
1915年に病気で亡くなったそうです。

一方、Arthur Marshall は、この後もラグタイム曲をたくさん残しました。
1906年にはミュージシャンとしてのビジネスチャンスの多いシカゴへ移動、
1910年にはまたセント・ルイスに戻り、ラグタイム・
コンテストで優勝もしています。
そして、Tom Turpin経営のクラブEurekaなどで仕事をしたようです。
しかし、1917年にはカンザス・シティへ移動し、音楽の世界からは退きました。
その後、1968年まで生きたので、
生前のスコット・ジョプリンを知る、貴重な語り部でした。

Arthur Marshallの主な作品には、次のようなものがあります。

Swipesy Cake walk(1900  with Scott Joplin)
Kinklets(1906)
Lily Queen(1907)
Ham and ! (1908)
The Peach(1908)
The Pippin Rag(1908)
Century Prize(1966)
Missouri Romp(1966)
Silver Rocket(1966)
Little Jack's Rag(1976)


晩年の発表作は、いずれもラグタイム研究書に収録されています。
1966年の3作品: ”They all played Ragtime”(Rudi Blesh & Harriet Janis, Oak Publications, 1966)
1976年の最後の作品: ”This is Ragtime”(Terry Waldo, Da Capo Press, 1976)

*なお、Scott Joplinの生涯を日本語で読むには、下記のサイトがおすすめです。
http://www.ragtime-passion.com/ragtime/ragtime.html(地図もあります)
http://home.att.ne.jp/star/ragtime/

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コメント

こういう話はなかなか日本語では読めないので、実に面白いです。
マーシャルのライブ録音が残っていないかどうかも興味があります。

投稿: 浜田隆史 | 2006/09/16 14時04分

先ほどは、Haydenの「Sunflower Slow Drag」が抜けていたので、書き足しました。

私もニホンゴで読みたかったのですが、そういうものが存在しないので、仕方ない、数冊からまとめてみました。人と人とのつながりが1+1=2以上のものを音楽に与えていると思いました。あとは、Tom Turpin、Louis Chauvin、Bun Campbellについても、整理してみる予定……。

マーシャルのライブ録音、あるでしょうかね? また晩年はピアノを弾かなかったのでしょうか。

投稿: ラゲディ・アン | 2006/09/16 17時27分

裕美様、いつもながら、スペルチェックありがとうございました!

投稿: ラゲディ・アン | 2006/09/17 00時41分

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