音楽スタジオ「けやき」のホームページが

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新緑が目に眩しい季節。

都心の住宅地に隠れ家のようにある音楽スタジオ「音楽的自由空間けやき」のホームページができました。私がしばしば、ピアノ練習や録音に利用している場所です。
ここに二本あるけやきの大木も、今、一番美しい季節。見上げると新緑の枝が風にそよいでいました。

今日は午前と午後、利用しました。
午前は、友人と連弾の練習。ラグタイムとブギウギ。
午後は、人形芝居「すやすや姫」の練習。テーマ曲をちょっと編曲してみたり……。

家で弾くのと違って、よくこなれた音色のグランドピアノ、それが木造の室内によく響き、ポ~ンと単音を出すだけでも、音楽的に聞こえます。家の狭い居間にあるアップライトピアノでは、こうはいきません。高い天井、広い空間、木造り――それって、都心の暮らしでは非日常……。少しの贅沢を味わいました。

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「音楽的自由空間けやき」~貸しスタジオ・ピアノ練習室
東京都文京区千石3-36-1
http://keyaki.inukubou.com/index.html                        

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映画『スティング』に、なぜラグタイムが使われたか?

スコット・ジョプリンの「エンターテイナー」に代表されるラグタイム音楽。
このラグタイム音楽が世間に広く見直されるようになったのは、
『スティング』(1973)の映画音楽として使われたから、と言われています。

この映画はストーリーの面白さと、
ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードらの達者な演技、
軽快な音楽で大ヒットし、同年、7部門でアカデミー賞を受賞します。

さて、それなら、なぜこの映画にラグタイムが採用されたのでしょう?
1930年代のシカゴが舞台のこの映画。
当時の音楽だとしたら、ジャズを使ってもおかしくないし……。
この映画の音楽担当は、マーヴィン・ハムリッシュ
数々の映画音楽を手がけているベテラン音楽家ですが、
その功績なのでしょうか?

ここ数日、疑問に感じていたのですが、
ラグタイム・ピアニストにして研究家のBill Edwards氏が、
これについて述べていました。
(彼のサイトの、”The Entretainer”の曲目解説の部分)
それによると、『スティング』の監督ジョージ・ロイ・ヒルは、
この映画ができる2年前、
ジョシュア・リフキンが弾いたスコット・ジョプリンのピアノ・ラグのレコードを聞き、
自分の新作に使うことを思い立ち、
音楽監督のハムリッシュに、アレンジを依頼したというのです。
しかも、ロイ・ヒルの息子がその録音に関わっていたらしい……(ほんと?)。

クラシック音楽学者で、今やバッハ研究の権威ジョシュア・リフキン(1944~)が、
ピアニストとしてスコット・ジョプリンのラグタイムを弾いたレコードを出したのが、
1970年のことでした。(”Piano Rags by Scott Joplin” by Joshua Rifkin )。  

このレコードは大ヒットしますが、それについて、リフキンはこうコメントしています。
「我々は、このレコードを1970年の11月に発表した。そして、直ちに、非常に熱狂的な社会の反応ぶりを受け取ることになる。レコードの販売促進用の広報活動に一銭も金を使わなかったにもかかわらずだ。ともかく、レコードは、まさに、すごい勢いで売れていった。それは、真実、まことに驚くべき出来事だった。」
(「スコット・ジョプリン ピアノ・ラグVol. 1」のライナーノーツより)

ジョージ・ロイ・ヒルが聞いたのも、このレコードでしょう。
すでにこのレコードのヒットで、
ラグタイムは社会的に再認識され始めていました。
しかも、クラシック音楽の分野からの着目という点で、
幅広く受け入れられたのではないでしょうか。
映画『スティング』がラグタイム・リバイバルの立役者だったかもしれませんが、
ジョシュア・リフキンのラグタイムへの関心があってこそのことだったのです。

ジョシュア・リフキンとラグタイムの出会いは10歳(1954年)のころだったそうです。

ニューヨーク生まれのリフキンは、
当時ニュー・オーリンズ・ジャズに興味を持っていました。
そして兄弟とともによく下町へ行き、
ニュー・オーリンズからやってきていた古いジャズメンたちと知り合って一緒に演奏し、
スコット・ジョプリンの曲も、そこで知りました。
そしてジャズメンたちが弾くような弾き方で(つまり、ジャズ風にアレンジしたかたちで)、
弾いていたそうです。

そして1968年(24歳)ころ、
友人の作曲家がラグタイムの小品を手に入れて興味を持っていると聞き、
子ども時代のことを思い出します。
クラシック音楽を正式に学んだ目でラグタイムを見直してみると、
それは自分が昔弾いていたものとは、まったく違っていたことに気づいたそうです。
そしてリフキンは、その友人エリック・ザルツマンとともに、
「ラグタイムと初期ジャズの夕べ」というラジオ番組を持つようになりました。

こうしてラグタイムへの関心を深めていき、
リフキンは、ジョプリンのラグタイムをクラシック音楽としてとらえ直すようになります。
(すべてのラグタイムが、というわけではないそうですが)
自分がかつてジャズとして弾いていたときのような慣習的な弾き方でなく、
楽譜に書かれている通りに演奏するべきものとみなし、
そのように演奏したのです。
つまりスコット・ジョプリンのラグタイムを、
クラシック音楽としてとらえ直したのでした。
そしてレコード化を考え、
あえて、クラシック・レーベルから発売したのだそうです。
(以上、上記のライナーノーツによる。LP発売当時のものが流用されているとのこと)

映画『スティング』に、なぜラグタイムが使われたか?
なぜ、この映画をきっかけにラグタイムがリバイバルしたか?

第一に、ジョシュア・リフキンの功績
第二に、ジョージ・ロイ・ヒルの慧眼
第三に、映画に音楽を巧みにフィットさせたマーヴィン・ハムリッシュの手腕

以上が答えといってよいでしょうか。

このことについて、もっと何かご存知の方がいたら、
ご教示いただければ幸いです。

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★その後、判明した経緯があります。こちらの記事も合わせてどうぞ。
http://elmtree.air-nifty.com/ragromenade/2007/02/post_b5f5.html#comments

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ピアノ組曲「虫の館」―60年を経て日の目を見る

Rued_langgaard__1  Rued Langgaard (1893-1952)というデンマーク人の作曲家がいます。

 この人のピアノ組曲に「Insektarium 」(虫の館)というものがあると知り、CDを探しました。米国のアマゾン(Amazon.com)のマーケット・プレイスで見つけた「新品」は、Teddy Teirupというピアニストが弾いているもので、1999年、デンマークのPaula Recordsで発売されたものでした。

 組曲「Insektarium」は、以下の曲で構成されています。(英語表記だけ記しました)
1. earwing
2. migrating grasshopper
3. cockchoafer
4. daddy longlegs
5. dragon fly
6. death watch beetle
7. housefly
8. millipede
9. mosquito

 それぞれ、「ハサミムシ」、「移動中のバッタ」、「コフキコガネ」、「メクラグモ(ガガンボ?)」、「トンボ」、「瀕死の甲虫」、「イエバエ」、「ヤスデ」、「カ」と訳したらいいでしょうか?  

 それぞれの曲は、短いものは32秒、長いものでも1分43秒という極端な短さです。解説によると、ランガードは後期ロマンはおよび象徴主義の作曲家ですが、この組曲は印象派の影響があるものの、たいへんユニークなものだそうで、ピアノの弦をはじいたり、蓋の上を叩いたりというような、前衛的な手法も(おそらく初めて)用いられています。蓋を叩く手法は、「瀕死の甲虫」で用いられていますが、瀕死の甲虫が仲間の注意をひくために、木造物に頭をリズミカルにぶつける音を表現しているのだそうです。

 聞いてみると、非常に面白い曲、というか断片です。「現代音楽は耳障りで……」という人にはおすすめできないかもしれませんが、それぞれの虫の様子を巧みに表現しています。虫の生態の映像のバックにこの音楽を流したら、とっても芸術的かつ効果的かもしれないと思いました。また、演奏がシャープで素晴らしいので、純粋にピアノ音楽として楽しめると思います。

 作曲者のランガードは、今でこそデンマークの誇るべき才能ある音楽家ですが、生前は恵まれず、その作曲が注目を浴びたのは、死後かなりたってからだったようです。解説によると、子ども時代は神童とされて才能を示しましたが、当時(デンマークで?)支配的だった反ロマン主義の潮流に対して、徐々に敵対する関係となっていきました。コペンハーゲンで貧困生活を送り、1940年にリーベの町の教会でオルガニストとなるまで、職業がなかったということです。それは、なんと47歳のときです。

 組曲「Insektarium」が作曲されたのは1917年、まだ24歳の頃でした。曲を聞くと、ほんとうに素晴らしい才能です! しかし、なんと死後25年もたった1977年まで演奏されることはなかったのです。それは作曲されてから、なんと60年後のことでした。楽譜も未出版で、手稿がコペンハーゲンのロイヤル・ライブラリーに収蔵されているだけだそうです。

 1917年というのは、音楽の世界では、ラベルの「クープランの墓」、ドビュッシーの「バイオリンソナタ」、プロコフィエフの「交響曲一番」が作曲された年です。前衛的と物議をかもしたストラヴィンスキーの「春の祭典」はその4年前でした。オーストリアではすでにシェーンベルクが前衛的な作品を発表していましたが、当時のデンマークで、たしかにランガードの作曲は、なかなか理解されなかったのかもしれません。

 デンマークというと相当寒い地域でしょうが、当時のコペンハーゲンには、どんな昆虫が普通に見られたのでしょうか。この組曲では、チョウやガは選ばれず、トンボや甲虫、バッタは別にして(これ自体、偏見?)、なんとなく普通の人が嫌がりそうな虫ばかりが選ばれています。ランガードは、ファーブルのように、純粋にこのような虫たちに愛情をもっていたのでしょうか、それとも世間や世俗に迎合しない気概を示すものとして、敢えてこういうラインナップにしたのか? 想像の余地があるところです。

 いずれにしろ、虫をテーマにしたクラシック音楽ということで非常に珍しく、また曲の完成度と演奏の素晴らしさからいっても、興味のある方は必聴です!!!

●Rued Langgaardのオフィシャルサイトがありました。
http://www.langgaard.dk/indexe.htm

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タブラトゥーラメンコ

 タブラトゥーラのコンサートに行ってきました。フィドル、リュート、ウード、リコーダーなどの古楽器で演奏するグループです。それぞれのメンバーはクラシック界などで活躍中の一流の演奏家ですが、この公演のために普段の楽器を古楽器に持ち替えます。しかし、昔の曲を昔の状態で演奏するためにではなく。古楽器で古楽器にふさわしい面白い音楽を何でもやろう、という精神なのです。「世界最強の古楽器バンド」との歌い文句も書かれていますが、さもありなん。いつか公演に行きたいと思いつつ機会を逸し、今回やっと実現しました。
 しかし今回は「タブラトゥーラメンコ」というタイトルがついているとおり、スペインの古曲やフラメンコなどを取り入れた舞台。開演と同時に場内は真っ暗になり、聴衆たちのざわめきが一気におさまりました。そして静寂と暗闇の中で待つことしばし、ほんとうにかすかな弦楽器の音が聞こえ始め、それがだんだんと音楽らしさを帯びてきます。するとそこに漆黒の服に身を包んだ男性が登場し、ステップを踏み始める……、それがフラメンコ舞踊でした。男性が一人で踊るフラメンコというのは初めて見ました。ドン、と踏み鳴らす足の音が想像以上に会場を支配し、一気に聴衆をフラメンコの世界に引きこみます。ステップの力強さと細かさ、動作のきれ、どれもすばらしく、何よりかっこいい! 演奏を聴きに来たのですが、このゲストのフラメンコ舞踊にまず呑まれてしまいました(もちろん、演奏にも圧倒されましたよ、つのださん! 満席の聴衆の圧倒的な拍手もそれを表していました)。
 フラメンコ独特の12拍子のリズム。その早い12拍子の間に、ダンサーは小刻みに12回足を動かしています。しかもアクセントをつける拍で「ダン」と強く踏むのです。そのアクセントの場所が、聞き違えでなければ、2・5・8・11拍めなのです(全部の曲がそうかはわかりませんが、少なくとも私が数えた曲では……)。つまり12拍子を「3拍子×4回」に分解するとして、それぞれの3拍子の2拍目にアクセントがかかっている感じです。これをそのまま聞いていると、独特のシンコペーションをもったリズムに聞こえてきます。
 このリズム、頭の中で鳴らしているとやみつきになってエンドレスに響いてきます。帰りの電車の中でもフラメンコのリズムが続いていた私でした。

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ヤマハのピックアップミュート

わが家にはトランペットを吹く人間が約1名います。しかし、マンション一角の自宅でこの楽器を吹くことはほとんどできません。だから、「音楽好きの一家が食後に家族で合奏」みたいなウルワシイ光景というのは、残念ながらあり得ないのです。

曲がりなりにも一軒家だった私の実家では、昔、父親のバイオリンをピアノ伴奏したものでした。夕食後や休日、父の気の向いたときに、家にある楽譜を片端から、みたいな感じでやりました。バイオリンのリズムを勝手に自由に伸び縮みさせる父に腹を立てながら弾いていたりもしましたが、今考えれば牧歌的でほほえしく、また何といっても初見の練習になりました。弾けなくても適当に合わせてどんどん進んでいくということも、知らずに訓練されました。しかし今はあのような、隣の家と1メートルも離れていないような一軒家では、やはり楽器を鳴らすことに気を使う時代かもしれません。楽器をやるなら防音工事を、と言われる時代ですから……。

しかし、ここに登場したのがハイテク産業(?)ヤマハの「ピックアップミュート」。「サイレントブラスシステム」の一環として発売されているのですが、トランペットのラッパの部分にこの製品を従来のミュートのように差し込むだけで、音が消音・デジタル化されて出てくるのです。しかも普通のミュートのように、吹く息が詰まった感じというのがあまりないそうです。先週これを買って、家で実際に試してみました。「す、すごい!」の一言。吹いた音が、本当に静かな音で出てくるのです。普通にテレビをつけてる音なんかより、絶対小さい!トランペット吹きの本人は、「家で演奏・練習ができる」というコペルニクス的転換の現実に興奮気味でした。

さっそく、消音ペダルを踏んだピアノとピックアップミュート装着のトランペットで、一曲合わせてみました。曲は、たまたま譜面台にあった『ハウルの動く城』の「人生のメリーゴーランド」。うん、いいぞ、いいぞ。音のバランスがちょうどいいのです。この組み合わせなら、「ウルワシイ光景」が実現されるかも……。淡い期待を抱かせてくれるハイテク製品でした。

でもね、所詮デジタル音と消音。どちらも「本物」ではないのです。これで練習しているつもりになるのは勘違い。あくまで「遊び」であり、「譜読み・運指確認程度」であると心得るべし。ま、音楽は遊ぶ(playする)ものなんですけどね……。

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ヨーロッパ・ハバネラ事始

ハバネラについて、びっくりするようなことが……。

スペインの歌曲「ラ・パロマ」は、よく知られたメロディーです。この曲がハバネラのリズムでした。作曲者はスペイン人のセバスティアン・イラディエール(1809~1865)。1850年に作曲され、その後世界中で知られるようになりました。このイラディエールという人は、キューバ(スペインの植民地でした)に住んでいた時代があり、その地のリズムを取り入れて、世界に広めたのです。ヨーロッパでは、イタリア民謡のオ・ソレ・ミオも、ハバネラのリズムで歌われるそうです。

驚いたことというのは、ビゼー(1838~1875)の「ハバネラ」は、このイラディエール作だということです! イラディエールは、1864年に「エル・アルグリート」というハバネラの曲を作りますが、これを後にビゼーがオペラ「カルメン」(1874年に完成)の「ハバネラ」に借用したのだそうです。あの有名なビゼーの「ハバネラ」は、キューバで暮らし、当地のリズムをハバネラとしてヨーロッパに持ち込んだ張本人である、イラディエールの作曲だったというのです! フランス人ビゼーが頭で作曲したわけではなく、まだホカホカのキューバの香りのする音楽だったんですね。ヨーロッパにハバネラが伝わった事情が少しわかったような気になりました。

なお、スペイン語では、フランス語と同様、Hを発音しないようで、ハバネラは「アバネーラ」と言うそうです。

それから、キューバの歴史について。スペイン植民地だったキューバは、19世紀の末に独立運動が盛んになり、1898年に米西戦争。1901年には共和国として独立し、実質的にはアメリカの支配下に入ります。これがキューバ革命まで続くんですね……。アメリカ音楽がラグタイムの時代だった時期、キューバではこんなことが起こっていたのでした。キューバでアフロ系の文化が発展をとげるのは20世紀になってからで、それも1920年代以降のようです。スペインの3拍子のボレロが、キューバで2拍子に変化したのも、アフロ系の影響があるそうですが、いつ頃のことなのでしょう、興味深いです。

参考 『ラテン・アメリカ・ピアノ曲選④ キューバ編』宮崎幸夫 校訂監修 全音楽譜出版社

追記(8月30日午後): Buena Vista Social ClubのCDにボレロが3曲入っていますが、そのうち2曲は制作年代が書いてありました。CD返却前にメモします。ドス・ガルデニアス(Dos Gardenias:クチナシの花をふたつ)というBoleroは、女性ピアニストのイソリーナ・カリリョ Isolina Carillo が1930年代に書いたもので、それ以来キューバのボレロ歌手にとっては必須のレパートリーになっているとか。また、イ・トゥ・ケ・アス・エチョ(私の花に何をしたの?)というBoreloは、バリトンの歌声で人気の歌手エウセビオ・デルフィーンEusebio Delfinが1920年代に作曲したそうです。

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ボレロ その2

昨日、「ボレロ」のオケ練習がありました。フルート、トランペット、クラリネット、膝にのる大きさのハープ。あとのパートはエレクトーン4台と他の電子楽器で演奏します。これに小太鼓と電子ドラムが入って総勢12~3人くらいでしょうか。

とにかくエレクトーンが4台あると、オーケストラ曲がほぼスコアどおり演奏できてしまいます。この教室ではモーツァルトのピアノコンチェルトなどを、ピアノ1台とエレクトーン4台、それに指揮者までついて、スコアどおり演奏しています。もちろん本物のオーケストラとは違いますが、小さなサロンで、4人の電子楽器奏者だけで手軽にオーケストラ曲やコンチェルトが出来るという点がすごいです。

ボレロは本来どこかの国の舞曲だったっけ、と思っていたのですが、映画Buena Vista Social Clubを見ていたらボレロが出てきました。CDを借りて確かめてみたら、ボレロが3曲も入っている! しかし3拍子ではなくて、タータータというハバネラのようなリズムなんです。そうしたら、音楽辞典にちゃんと出ていました。ボレロは1780年ころスペインの舞踊家セレソという人が創作したと言われているそうで、4分の3拍子。ラベルのボレロももちろん3拍子です。ベートーベンやショパンにも作品があるそうです。しかし、キューバのボレロは4分の2拍子である、という付記がわざわざありました。う~ん、CDもそうでした。どこでどう変わったのでしょう?

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ボレロ

ラベル (1875~1937) のボレロを演奏してみようという、近くの音楽教室の夏期講座に参加します。各自好きな楽器を持ち寄り、足りないパートは電子オルガン数台で補ってオーケストラ編成にします。昨日顔合わせがあり、スコアを見ながら全曲通しで聞きました。長さ15分、同じメロディーを繰り返しながらだんだんクレッシェンドしていき、最後にクライマックスを迎えて終了します。

聞き終えて思ったのは、アドリブこそないけどジャズ演奏の感覚に似ているな、ということでした。16小節のA部分と16小節のB部分を足して32小節がひとまとまりで「ワンコーラス」。これを、フルート→クラリネット→オーボエというように、異なるプレーヤーがソロをとっていきます。そのうち複数のプレーヤーが同時にメロディーを演奏し、その数が増していき、最後には全員で参加して、大音量とともにジ・エンド。リズムセクションはずっと同じリズムを刻んでいます。

終わってその感想を口にしたら、教室の先生の一人が、耳に心地よいたぐいの最近の音楽も、ず~っと繰り返しの連続で同じですね、と言ってくれました。なるほど、そうかもしれません。ボレロが作曲されたのは、いつだろう? 帰って調べてみたら1928年でした。ついでに遡りますが、ガーシュイン (1898~1937)の「ラプソディ・イン・ブルー」初演が 1924 年。ストラヴィンスキー(1882~1971)の「11楽器のためのラグタイム」初演が1920年。ドビュッシー (1862~1918) の「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」が含まれる組曲「子どもの領分」が 1906~1908 年でした。クラシック作曲家もラグタイムやジャズの影響を受けた時代でした。

さて、今回の講座のために押入れからホコリをかぶったクラリネットを取り出しました。中学時代以来で、指はばっちり覚えてますが、口はそうはいきません。でもせっかくなので、この楽器で参加してみます。CDで聞いたクラ奏者のように、デキシーばりに音程をずらしたりしながらソロをとってみたいけど、よけい下手に聞こえるだけかな……。

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